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砂の女(安部公房作品)@あらすじと感想

■砂の女のあらすじ

★休暇で集落に日帰りで行ってみたが、思いもよらず泊まることに

学校の教師をしている主人公の男が休暇を利用して砂丘にしかいない昆虫の新種を探すため、日本の辺境のようなところにある集落に出かけました。

男は昆虫探しに夢中になりすぎたため、帰りのバスがなくなってしまったので、集落に泊まろうと考えていたところ、集落の男性に言葉巧みに誘われるまま、蟻地獄の中にあるような住居に泊まることにしました。



★砂の中で暮らす未亡人との出会い

住居には、未亡人と思われる女性が一人で住んでいました。

その住居は、毎晩、砂掻きをしないと砂嵐で砂に埋もれてしまうような過酷な環境にありました。

住居の敷地の外に出るためには、集落の人が穴のうえから縄梯子をかけてもらう必要があるのですが、翌朝、男が起きてみるといつの間にか、縄梯子が外されていました。

男は、縄梯子がないと帰れないじゃないかと女に激しく抗議します。

しかし、素っ裸で寝ていたため全身砂まみれの女は、無反応を通します。

そして、女の口から発せられた”ご存じなんでしょう”という言葉から、男は
自分が”砂掻きに不可欠な男手を失った未亡人のために貴重な労働力としてあてがわれた”ことを知ることになります。

★男は不法監禁状態に

男は、女に対して、”これは不法監禁という立派な犯罪である”とまくしたてるものの、女は、全く聞く耳を持ちません。

その後、男は”不法監禁”から脱しようと様々なことを試みますがいずれも失敗します。
そんなある日、全くの偶然から、穴の出口に向けてはなったロープが縄梯子のような形でかけられることに成功しました。

★集落からの脱出に失敗

男は、千歳一隅のチャンスに興奮し、女が寝ているのを見計らって、ロープをつたわって穴の外に出たのです。

穴の外は、集落なので、男はとにかく猛スピードで集落から走って出ようとしました。

走っている最中に集落中のサイレンがなり響き、集落の人々に一斉に追跡されます。

結局、男は、逃げる途中で一回足を入れたら、引っこ抜けないような沼にはまり、集落の人に救出され、穴の中の住居に戻されてしまいました。

★砂の中の住居で生きがいをみつける生活

穴の中に戻った男は、すっかりおとなしくなり、脱走をあきらめ、現在の生活に生きがいを見出してみようと努力するようになっていきます。

これまで、冷めた関係だった女と間にも愛情のような関係性が生まれ、穴の外の一般的な夫婦生活を営むようになります。

男は、集落に監禁される以前の生活を思い浮かべ”その生活が本当に自由だったのか”と自問自答する過程で、”以前の暮らしは仕事も家庭でも常に何かに気を遣い、何かにこだわった生活を送っていた”ことを自覚していきます。



★蒸留装置の研究に打ち込む・完成へ

男は、ある日、蒸留装置の研究を始めました。

この蒸留装置が完成すれば、砂から水を抽出することができるという、集落の人からすると夢のようなモノでした。

何日もの試行錯誤を経て、蒸留装置が完成し、”砂から新鮮な水を得る”ことに成功。
男は、この発明に興奮して誰かに話したい欲求ではちきれんばかりになりました。

この時、男は思ったのです。

”この装置のことでもっとも伝え甲斐・話し甲斐のあるのは、集落の人以外にない”と。

★自由を手にした男性

そして、男の心の中は”砂の穴の外への脱走願望より、何の変哲もない砂から水を生み出す蒸留装置のことを誰かに話したい、聴いてもらいたい欲求で満ち溢れていきました”。
つまり、ここで初めて男にとって”脱走するよりも優先順位が高い願望”が生じたのです。

ここで男が”縄梯子もそのままにされているのに脱走することをせず、蒸留装置のことを集落の人に打ち明けること”を選択するというシーンで、ストーリーは終焉を迎えます。

★男は民法により死亡と認定

そして、結末で、男の家族から依頼された失踪宣告についての裁判所の
”二木順平を失踪者とする”とする判決で砂の女の物語は、完結します。

要するに民法の失踪者に関する規定によって、5年間生死が不明ということで”男は砂の穴で生きて生活しているのに民法上は死亡したものとされる”と見做されたのです。

さらにいえば、”5年間生死が不明”ということは男が以前の生活に戻ることを放棄し、砂の中での暮らしを自主的に選択したことを暗示しています。

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■砂の女の感想

砂の女の主人公は、集落の女なのか女に捕らわれた男なのか、あるいは、男と女の愛の小説なのかということに囚われる人が多いようです。

でも、私はそのどちらでもないと感じました。

小説には、日常生活を事細かに描写することに主眼を置いている作品と隠れた主題を登場人物を通じて伝えようとする作品の2つのタイプがあると思います。

砂の女は、完全に後者です。

つまり、砂の女は、”砂の中に閉じこまれた男女の生活を描くこと”を通じて、”人間の自由とは何か”を問い続ける作品です。

自由に関する表現で秀逸だと思ったのは、自由な生活を往復切符になぞらえたことです。

砂の女では、”往復切符をがっちり握った生活”を”恵まれた生活を送る人間”として描いています。

それ以外の人間は”往復切符をにぎる”ために上役に二枚舌を使う等、皮肉交じりに必至に生活を送っていることを描いています。

また、その”往復切符をにぎる”ことを目的とした生活が本当に自由なのかと問うています。

つまり、砂の穴の外の人間からすると”砂の穴に監禁された男の生活は不自由極まりない”と判断されるわけですが、では、”砂の外で自由に?生活しているあなたたちは、本当に自由なのか”と問うているのです。



作品では、結局、男は最後に”脱走するかどうか・このままの生活を送るのか自分の自由に決めることができる”往復切符を手にして、終了します。

つまり、男は最高の自由を手に入れたといっているのです。

砂の女では、不法監禁のような生活を送ってきた男が結局、”最高の自由を手にした”ということが一番伝えたいことだと感じました。

主人公が誰なのかということに関しては、男と女、集落の人たちの生活を日々翻弄し続ける砂ではないか推測しています。

作者の安部公房の砂に関する興味・こだわりは、人生の多感期を砂漠のような土地が存在した旧満州で過ごした原体験によるものではないかと文芸評論家は指摘しています。

砂の女は、英語はもちろん、フランス語、ロシア語からチェコ語、フィンランド語まで
20数か国語に訳された名作というより傑作というべき作品です。

読んで損はしないというより、読まないと損するともいえるような作品です。